江戸時代に庶民レベルまで行き渡ったのがタバコである。
はじめは贅沢品であったが、各地でタバコの栽培が盛んになり、
葉を刻んだ刻みタバコが広く流通した。
今のように20歳にならないと吸ってはいけないという規則はなかったものの、
喫煙に対しては常識的な決まりがあった。
まず、歩きながら吸わない。
これは火事を予防するためだ。
吸う場合は、必ず座って吸うこと。
茶店などの縁台に腰を掛けて吸おうとしても、そこに灰皿の用意がなければ吸わない。
つまり、灰皿が置かれていない場所は禁煙だったのである。
往来は、城へ続く廊下と考えられたから、ポイ捨てなどとんでもないことだ。
また、料理店などでも相手が吸わない人だったら、こちらも吸わなかった。
相手が「どうぞお吸いください」と言えば吸っても良かったが、
相手が吸わない場合は、控えるのが常識であった。
このようなしぐさすべてを「喫煙しぐさ」と呼んでいた。
日本にタバコが伝わったのは、16世紀末といわれ、
江戸時代になって喫煙文化は急速に普及していった。
弘化3年(1846)の『煙草百首』という本によると、
百人中タバコを吸わない人は、わずか2,3人と書かれている。
この本の著者は、本業がタバコ屋というから、
かなり大げさに書いているものと思われる。
しかし江戸時代は、現在からは考えられないほど愛煙家が多い時代だったようだ。
タバコの煙には邪気を払う効果があるとか、
狐や狸に化かされた時に一服すれば正気に戻るなどの説も流布されていた。
当時のタバコは、現在のような紙巻タバコではなく、
刻みタバコに火をつけて煙管(キセル)で吸っていた。
刻みタバコを入れる煙草入れと煙管には決まった形がなく、
各々が好きなデザインのものを使っていた。
現在でいうオシャレに近い感覚で、
自分好みの煙管を持ち歩いていたのだ。
このように庶民にも浸透していたタバコだが、
火災の原因にもなることから、幕府が何度もタバコ禁止令を出している。
慶長17年(1612)から5年間に5回もの禁煙令が出され、
タバコを売り買いした者はもちろん、タバコを耕作した者にも厳罰を処した。
それでもタバコを吸う習慣はなくならず、根負けした幕府は
八代将軍吉宗の時代(1716~1745)からタバコを奨励するようになったという。
ちなみに江戸の市中にタバコ屋ができたのは、
明暦年間(1655~1658)のことである。
吉原の遊女が長い煙管でタバコを吸っている様子を時代劇などでよく見る。
これは、格子の外にいる客に吸い口を差し出し、
これを受け取った客が吸う「吸付けタバコ」という習慣があったためだ。
遊女は、気に入った客にこうしてタバコを勧めていた。
また、江戸時代には女性が煙草を吸うことにも何の偏見もなかった。
嗜好品が少なかった江戸時代だっただろうから、
喫煙は数少ない庶民の嗜好品だったと思われる。
それだけに喫煙者も多かったと推測できる。
タバコを吸うマナーは、江戸時代も現代も変わらない。
相変わらず歩きタバコやポイ捨てが後を絶たない現代の方が
マナーが悪くなっているかもしれない。
マナーの悪い喫煙者が後を絶たないから、余計に禁煙、嫌煙の声が高まるのだ。
喫煙者の肩身が狭くならないようにするためにも
禁煙者も喫煙者も心地よく過ごすためにも
喫煙者みんながマナーを守ってもらいたい。