ぴ~まん’s ワールド

仕事も遊びも楽しくやろう 楽しくなければ人生じゃない

江戸しぐさ『芳名覚えのしぐさ』

江戸の町では、何かと寄り合いが多くあった。

それらは「講(こう)」と呼ばれ、

宗教的な集まり、娯楽的な集まり、経済的な集まりなど、その内容はさまざまだった。

このような寄り合いへ初めて出席するとき、

自らは名乗るものの、他の人の名前を直接聞くことは、はばかられた。

他人の名前は、その人が呼ばれた時に覚えるのだ。

まず、自分の両隣の名前から覚える。

次に正面と隣の隣という具合に覚えていく。

このような寄り合いの席順は決まっていなかったから、

その都度、違う人と隣り合うことになる。

こうして両隣を覚えていけば、自然と全員の名前を覚えられるのである。

このしぐさを「芳名覚え(ほうめいおぼえ)のしぐさ」といった。


相手の名前を直接聞くのは礼儀に反するという江戸のマナーがあったからで、

このようなしぐさとなった。

そしてそこには、寄り合いでの観察力や注意力を試すという

知らず知らずのうちのテストの意味合いもあった。



「講」とは、「頼母子講(たのもしこう)」から来ている民間の相互援助組織のことで

同じ目的、目標を持った人たちが集まって、

一人では叶えられないことを成し遂げようとした。

大人気だったのが「富士講」。

江戸の町からは富士山が眺められるだけでなく、

市内のいたる所にミニチュア版の富士が作られ、

そこに登ることで富士登山の代用とした。

江戸の人々は、熱く富士山を信仰していたのである。


一度は本物の富士山に行ってみたいと願う人が多かったであろうが、

当時、おいそれと旅行に出るのは難しかった。

ましてや庶民が富士山までの旅費を捻出するのは簡単なことではなかった。

そこで何人かが集まって少しずつお金を積み立てて、

旅費が貯まったところでクジを引き、当たった者が富士山を詣でたのである。


また人気のある講として「伊勢講」もあった。

江戸時代は、単に観光という理由では旅をすることが許されなかったため、

信仰を理由に旅を楽しんでいた。

伊勢神宮を詣でたその足で京都などへも物見に行っていたのである。


クジに当たった人は、仲間から盛大に見送られて旅立ち、

また帰って来た時にも仲間に祝われた。

「宵越しの銭は持たない」といった江戸の人々が、旅に出掛けられたのは、

「講」のお蔭であろう。


旅に出ることを目的としない「講」もあった。

江戸時代になって庶民の間でも行われるようになったのが

「庚申(こうしん)講」である。

道教の教えに基づく話で、

人の体にいる「三尸(さんし)の虫」が六十日に一度、人が寝ている間に天に昇り、

天帝に悪事を伝えると考えられていた。

それを防ぐための「講」が「庚申講」である。

当番の家に泊まって、寝ずに語り明かしたり、念仏を唱え、

そのことで仲間意識を高めた。


いろいろな「講」で付き合いが広がり、

「芳名覚えのしぐさ」で名前を覚えていった。




「芳名覚えのしぐさ」は現代ではどうなのだろうと思える。

直接名前を聞いてしまったほうが早い。

すぐに大勢の名前を覚えるのは困難だが、

まず聞いて、その後は「芳名覚えのしぐさ」同様に覚えていく方が良い気がする。

新入社員当時、同じ部の人の名前をすぐに覚えらなかったことが思い出される。

顔は分かるのだが、なかなか名前と一致しない人が数人いて、苦労したことがあった。

新入社員なのだから間違っても恥ずかしいことではないのだが、相手に失礼だし、

「早く覚えなくては!」と思ったものだ。