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江戸しぐさ『時泥棒』

江戸時代は、自然とともに一日を送っていた。

日の出とともに人は起床し、日の入りとともに床に就いた。

そのために人が働く一日の時間を大事にしていたし、

少しの無駄もなくそうとしていた。

とくに江戸の商人、職人たちは、大事に時間を扱っていたから

突然訪問されたり、立ち話で呼び止められたりすることをとても嫌った。

だからこういうことをする者を「時泥棒」と呼んだ。

1分たりとも無駄にしないよう行動しているのに、

その時間を盗むからである。

お金や物なら盗られても取り戻したり、新しく買うことができるが、

時間だけはそうはいかない。

一度失った時間は絶対に取り戻せないのである。


時泥棒は、弁済不能十両の罪といわれるほど、商人、職人は嫌ったし、

そういうしぐさをしないように努めた。

他人への迷惑を嫌った江戸人の考え方の表れでもあった。



当時は灯りをとるための油も貴重だっただろうから、

昼間の時間は有効に使わなければならなかったのでしょう。

それに比べて現代は24時間活動できます。

これも良いのか悪いのか?

個人的には、もう少し自然の摂理に沿った生活サイクルの方が良いように思います。



江戸時代の時間制度は、一時(いっとき)、一刻(いっこく)という単位で

表されていた。

この一時は、季節や昼夜で長さが異なるのが特徴。

日の出から日の入りまでの時間を六等分したものを昼の一時とし、

日の入りから日の出までの時間を六等分したものを夜の一時として定義していた。

このような不定時制の他に、現代と同じ定時制があったが、

それは暦を扱う役所だけで、一般には不定時制が広く用いられていた。

これは明治6年(1873)の太陽暦施行まで続いた。


現在のように単純に一日を24時間で分割する生活から考えると

かなり不便なように思えるが、

江戸時代には日の出や日の入りといった自然のリズムに合わせた生活をしていたため

こうした時間の長さが身に付き、それほど不便はなかったのだ。


時刻を表す言葉も現在とは異なる。

正午と真夜中をそれぞれ九つとし、日の出と日の入りを六つと呼んだ。

朝は朝六つ、夕方は暮六つといった。

また時代劇などでよく聞く「辰の刻」のように干支を使って表現することもあった。

この場合は、現在の時計での12時の場所に「子」を置き、

そこから時計回りに12支を配置した。