往来を歩いていて思いがけないことに遭遇すると、
ついつい大声を上げてしまうのが普通の人間だが、
江戸では、こんな場合でもなるべく声を上げないように努めた。
これが『無悲鳴のしぐさ』である。
不用意に大きな声を上げることで事を余計に大きくしてしまったり、
二次被害に巻き込まれることを防ぐ意味合いがあった。
もちろん、火事などの場合は例外で、
火の手を発見したら周囲に気付くよう大声で叫ばなくてはならない。
現代のような街灯がない江戸の夜は、想像以上に暗かったから、
夜道でびっくりすることも多かったはずだが、
自分が何者かに襲われない限り、無悲鳴のしぐさを心掛けた。
もっとも、夜出歩くのは男性たちばかりで、
普通の女性は日没以後ほとんど外へ出ることはなかった。
夜、外を歩いている女性は、夜鷹などという春を売る女性たちばかりだった。
江戸時代以前の夜は、火皿に油を入れ、
そこに木綿などの灯心を差して火を点けたものを灯りとして使用していた。
江戸時代になって普及したのが行灯(あんどん)である。
行灯とは、火皿の周囲を竹や木などで作った枠で囲い、
その上から和紙を貼ることで風が吹いても火が消えないようにしたものだ。
行灯は部屋の照明として使われていたが、
現在の60ワット電球の50分の1程度の明るさしかなかったといわれている。
また、当時は夜間に外を出歩く際に無灯火で歩くことが禁じられていたため、
どの家にも持ち運びができるように取っ手が付けられた行灯が常備されていた。
この持ち運びタイプの行灯は、
江戸時代初期のうちに提灯(ちょうちん)へと移り変わっていった。
提灯は油火ではなく蝋燭(ろうそく)を使い、蛇腹状で折りたたみできるため
持ち運びに便利だった。
しかし、当時蝋燭は高価な品だったため、庶民の品というよりは武家や大店、
それに吉原などで使われることがほとんどであった。
『無悲鳴のしぐさ』は、
不用意に大きな声を上げることで事を余計に大きくしてしまったり、
二次被害に巻き込まれることを防ぐ意味合いがあったといわれているが、
現代よりも静かであったであろう江戸の夜に大声をあげれば、その声は響き渡り、
「近所迷惑が甚だしいから」というマナー的要素のほうが大きかったのではないか。
現代では街灯も増え、江戸時代のような暗い夜にはならないが、
深夜に酔っぱらいが大声を張り上げるのを聞くことがある。
最近でこそ少なくなったが、
首都高速や幹線道路を暴走族が「バリバリバリッ」と
けたたましい音を響かせて走っていくこともある。
24時間営業している店も増え、深夜に働かなくてはならない業種も増えたから
夜の人通りは昔とは比べ物にならないくらい多くなった。
それだけに夜の騒音も増えている。
だからこそ、深夜には無暗に出歩かず、静かに過ごすことを大事にしたい。