一時期、いわゆるTPOがやかましく喧伝されたことがあった。
何事にも時と場所と場合を考えなさい、ということである。
例えば、結婚式に招待された女性が白い服装をまとうのはタブー。
白は花嫁の色だからである。
このようにTPOを考えれば着ていく服装は自ずと決まってくる。
同様に、今では当たり前のことだが、
ホテルの廊下をパジャマ姿で歩かないことなどやかましく言われた。
日本の宿と、西洋式のホテルの違いが、まだ日本に定着していなかった頃の話だ。
何事にも時と場所を考え、やっていいことと悪いことを知っておくことが大人。
これが江戸人の根底にはあった。
それらを守れないことを『自堕落しぐさ』と呼び、江戸人は嫌ったのである。
自堕落とは、一言でいえば、だらしのない様のことだ。
決まりのつかないだらしのない生活態度は、江戸人がもっとも嫌った生き方だった。
当時、衣服は高級品であったため、庶民が着用していたのは麻の服であった。
木綿を着るようになるのは17世紀中頃で、木綿の生産量が上がってからのことだ。
絹製品は、そのほとんどが大陸からの輸入品で高価だったから、
庶民には高嶺の花であった。
このように衣服が貴重な時代であったから、庶民の着る服の多くは古着であった。
古着は、古着屋で購入するほか、家族のお古などを使いまわし、
破れたりしたら継ぎ当てをするなどして着物一枚を大切にしていた。
冠婚葬祭などでこざっぱりとした衣服が必要な時は、
損料屋という衣服の貸し出し店で借りるのが一般的だった。
着るものだけではなく、生活そのものがだらしがないと
人格までだらしなく見られてしまう。
お金の使い方もしかりだ。
それは今も昔も変わらない。
特別おしゃれをせずとも身だしなみを整え、きちんとした生活をするだけで
その人に対する信用度は上がる。
逆に見た目ばかり気を使って、生活がだらしないと、
それは普段は見えなくても、どこかで他人に見抜かれてしまう。
「やっていいことと悪いこと」の区別がつかなければ大人ではない。
しかしそれ以前に自分の欲求を満足させようとする人が増えてしまった。
人としてだらしがない典型ではないだろうか。