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江戸しぐさ 『喧嘩しぐさ』

火事と喧嘩は江戸の華

江戸の町では、しょっちゅう火事や喧嘩騒ぎがあり、江戸の名物だった。

薄い板と簡単な壁で造られた長屋は、いったん火がつくとよく燃えた。

しかも家の中に竃(かまど)がある構造だったから、失火が多かったのである。

また、男の数が圧倒的に多かった町では、喧嘩が絶えなかった。

初期の江戸では、江戸の町の建設中だから、気の荒い男たちが多く、

いたる所で喧嘩が起こったのだ。

しかし、江戸生まれが多くなると、喧嘩といっても暗黙の了解があった。

まず、いきなり襲い掛からないこと。

初めに警告して、それでも収まらない場合に殴り合いになった。

そして殴り合いになったとしても、首から上は殴らないこと。

頭を殴れば殺すことになり兼ねないからだ。

最後は、ほぼ決着がついたと見るや周囲が止め、仲裁に入った。

これが『喧嘩しぐさ』である。

これを守れば殺人事件になることもないし、

仲裁が入ったら、その人の顔を立て、喧嘩は終了した。


江戸時代の家屋は木造住宅で、住宅同士が密集していたため、

火が回るのが早かった。

現在のように大量の水をかけて消化する技術もないので、

発火地点の風下の家屋を破壊することで、それ以上の飛び火を防ぐしかなかった。

このため火事が起こると、その火元や出火原因は厳しく追及され、

放火犯として捕まった者は、見せしめとして火あぶりの刑に処されたという。


このように火事の多かった江戸の町では、

組織的な火消しの集団が整えられていた。

町火消しは各町が抱えており、鳶人足が主な構成人員となっていた。

火災現場では、火消し同士の喧嘩がたびたび起こった。

その原因は、消し口(消化地点)の奪い合いや持ち場争いであったり、

それぞれの組織の面子を掛けた争いだった。

まさに「火事と喧嘩は江戸の華」だったのである。



火事と喧嘩が多く、江戸の名物という意味で

「江戸の華」といっていたのではないかと思う。

木造の簡易な建物が密集しており、

一旦火事になれば、あっという間に広がってしまうことから

江戸の華と言いながら自戒の念を込めていたのではないだろうか。

また、「てやんでぃ」「べらぼうめ」で代表される江戸っ子気質が

喧嘩を呼んでいた気がする。

「宵越しの金は持たない」という意地というか格好つけることで酒を飲み過ぎ、

喧嘩になることが多かったのではないかと思う。