江戸の町屋は、一部を除いて内風呂は禁止されていた。
各家に風呂があると、それだけで火事の原因になるからである。
そのため江戸の町にはいたる所に銭湯があった。
江戸時代銭湯は湯屋と呼ばれていて、旅籠屋に宿泊した客も
入浴の際には湯屋に出かけた。
湯を沸かすために火を使う湯屋は、
火災の心配があるため営業には幕府の許可が必要だった。
風の強い日には、休業する銭湯が多かったという。
江戸の銭湯には湯女という接待する女性がいる湯女風呂と、
一日の疲れをとる普通の銭湯があった。
銭湯は、武士から町人までさまざまな階層の人減が集まるが、
中に入れば身分はなしというのが原則。
まさに裸のつき合いができた。
この身分上下の垣根を取り除いた付き合いを「銭湯つき合い」といった。
しかし、銭湯つき合いのしぐさにもタブーがあり、
相手の給金に関しては聞いてはならないことである。
ただし、どんな暮らしをしているかは聞けた。
暮らしぶりから互いの状態を推し測って付き合ったのだ。
銭湯つき合いがきっかけで、親類のようにまで仲良くなる人もあった。
銭湯は、江戸の社交場で
そこには身分の上下はなく、人間同士のつき合いができたが、
親しき仲にも礼儀ありが基本であった。