ぴ~まん’s ワールド

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「身の安全は自分で守る」意識

浜松市天竜川で川下り船の転覆事故が起き、3人が死亡し、未だ2人が行方不明となっている。

夏休みの行楽で楽しみにしていた人たちにとって、思いもかけぬ惨事となってしまった。

乗船時に救命胴衣を着けていれば、この5人の命も助かっていたかもしれない。


12歳未満の乗客には救命胴衣の着用義務があり、

12歳以上の乗客には着用に努めるとされている。

が、運行会社の発表では、船頭が

「暑いから置いておいて良い」

と乗船前に説明していたという。

運行会社の責任は厳しく問われる。



こういう事故が起こるたびに思うのだが、

日本人は何でも国や法律が身を守ってくれる過保護になっているのではないか?

「自立」「自己責任」という言葉が、

その意味することを忘れて、言葉だけになっているのではないか?

船に乗れば転覆したり転落してしまうことがあることは誰にでも想像できる。

しかし、多くの人が

「自分だけは大丈夫」

「運行に対する安全責任は運行会社にある」

という考え、気持ちが蔓延し、物事を甘く見ているように思う。

たしかに運行会社は運行に対する安全責任を全うしなければならないが、

「自分の身の安全は自分で守る」 ことが希薄になっている気がしてならない。



国は、国と国民の安全の為の法律を作り、

それに関わる運営会社は、その法を順守し安全責任を全うしなければならない。

それによって国民は安全に生活することができる。

しかし、それ以前に個々の人間が、

自分で自分の身を守る意識をもっと強く持つべきではないだろうか。


法で守られているはずだが無視している、

または法の存在を知らない身の回りの危険は他にもたくさんある。


街中で歩道を猛スピードで突っ走ったり、小さな交差点を一時停止せずに突っ込む自転車を見かける。

自転車は車両であり、道路交通法がある。

ヘルメット着用も努力義務として規定されている。

しかし、知らない人が多いのだろうが、ほとんど無視されている。

車両である自転車での無謀な運転は加害者にもなるが、転倒して自身が大怪我をすることもある。

国の周知も足りないのだろうが、もっと報道すれば自転車に乗るための知識は残る。

法の有無、存在の知、不知に関わらず、「安全」を自身で少し考えるだけでも

自転車の乗り方は変わってくるはずである。


かたや、放射能汚染は連日報道されているものだから、

異様に神経質になり、個人で放射線測定器を持つ人も少なくない。

目に見えず、色も臭いも無いものだから放射線に対する不安は大きくなってしまう。


自転車はあくまでも一例であり、自転車と放射能は比較にならないかもしれないが、

どちらも国や法が守ろうとしているのに、

自転車の安全は無視し、

川下り船の安全は運行会社の責任であり、転覆や転落は有りえないと決め込み、救命胴衣は着けない。

しかし放射線に対しては神経質になり、過度の反応を示す。

自身で防げる危険と防げない危険はあるが、

放射線から子供の身を守りたい」

「万が一に備えて船に乗るときに子供に救命胴衣を着けさせる」

は、目的として同じことではないだろうか?

救命胴衣も自転車も放射線同様に気を使っても良いのではないか?

そして他の行楽にいそしむ場合も、

もう少し「自身の身の安全」ということを頭に入れておくべきではないだろうか?

電車や航空機に乗るときのように自分ではどうしようもない場合もあるが、

少し気を回すだけで危険から身を守れることは、他にも身近にあるはずだ。


日本人は、もっと真に「自立」しなければ過保護なペット同様になってしまい、

世界に目を向けたときに恥ずかしい国民となってしまう。