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脳死は人の死か否か

脳死は人の死か?

衆議院臓器移植法改正でA案が可決された。

現行法では、
15歳以上に限り、
本人の提供の意思表示があり、
家族が拒否しない場合に臓器摘出が可能。

A案は、
臓器摘出可能年齢の制限が撤廃され、
本人の提供の意思が不明な場合も、
家族の同意があれば臓器摘出が可能になる。

書面での意思表示があれば

「親族への優先提供」が可能になることも盛り込まれている。



心臓や肝臓は、脳死状態のうちに移植しなければならず、

心臓や肝臓の移植手術には脳死を死と認定しなければならない。


非常に難しい問題だ。

古くから日本では、心停止=人の死 とされてきた。

脳死状態になっても体温はあり、心臓は動いている。

日本人の心情として

心臓が動いている上、体温がある人に死を宣告するのは理解しがたい。

が、諸外国では 脳死=人の死 とされているところが多く、

それによって移植手術は多く行われ、子供への臓器提供も可能となっている。


現行法では日本で子供の臓器移植は不可能で

アメリカなど外国で手術せざるを得ない状況なのだ。

WHO(世界保健機構)でも、

来年5月以降、臓器移植は自国内で行うようにとしている。


臓器提供を望む親は、

「臓器を提供してください」 という気持ちが強く、A案に賛成だろう。

しかし、脳死状態の子供を持つ親は、

心臓が動いているのに死と認めることは心情的に困難。


臓器移植をすることによって人の命が救われるが、

これには臓器提供側の苦悩が付いて回る。

臓器移植をして命を助けることが優先なのか、

脳死状態の人を生かしておくことが優先なのか、

判断は割れる。



個人的に私は臓器移植をこれからも推進していくのならという前提でA案に賛成。

(臓器移植してまで延命、救命させるのが良いのかどうかも
 私には判断がつきかねます)

自分の子が脳死状態になって死を宣告されるのは辛いが、

その子の臓器を提供することで何人かの命が救われる。

そう思うと、この子の死は無駄ではなく、

人の役に立つ人生を送れたと考えられる。

逆に脳死状態のまま延命しても満足な人生を送れず、いずれ死ぬ。

それがその子のためなのかと考えると、イエスという答えにはなり難い。

自国では脳死を死と認めないがために

自国での臓器移植手術が不可能となり、

外国の子供の臓器を提供してもらうのは筋が通らない。


親子共々元気なうちに親子間で脳死、臓器提供の話をし、

親子で納得しておいた方が良いと思う。


医師も脳死判定で苦悩させられるだろう。

仮にこのA案で法改正されたとしても

まだまだ問題は付いて回る。