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江戸しぐさ『つまらない物ですが』

人に物をあげる場合、その物と一緒に添える言葉で

「つまらない物ですが・・・・」

がある。

これは物をあげる際のしぐさのひとつで

けっしてつまらない物ではなくても、この言葉と共に物をあげた。


このしぐさは、相手にへりくだった物言いで、相手に対する敬意の表れである。

本当に良い物をあげるのなら、そんな言い方はおかしいという意見もありそうだが、

江戸時代は、どんな場合でも偉そうに振る舞うのはタブーであり、

相手が絶対に満足いく物であっても一歩へりくだった。

食べ物の場合は、

「お口に合わないかもしれませんが・・・・」

「お口汚しでございますが・・・・」

という言葉を使った。

ただし、

「私の口には合いませんが・・・・」

などと言ってはならない。


進物に心づくしの品や土地の名産を贈るのは、今も変わりないが、

江戸の町は新しかったから最初は名物どころか物もなかった。

そこであらゆる物資が将軍家のお膝元である江戸に送られてきた。

上方で作られた一級品を江戸っ子たちは自慢にし、

下ってこない物は下等とみなして

「くだらない」

と呼ぶようになった。

時が経つにつれ、江戸独特の食べ物が生まれ、やがて名物となっていった。

代表的なものが握り鮨である。

気が短い江戸っ子は、すぐに食べられる鮨を求めた。

現代でも江戸前といえば握り鮨を指す。

しかし当時は、江戸前といえば鮨よりも鰻を指した。

隅田川や神田で捕れた鰻を蒲焼にして食べていた。

鰻の旬は冬らしいが、夏場にも鰻を売りたい鰻屋のために

丑の日に鰻を食べる習慣を平賀源内が広めたという説がある。

また人が集まる寺社にも名物が生れるようになった。

芝神明宮の秋祭りには、谷中名産の生姜が持ち込まれるようになり、

雑司ヶ谷では、麦藁で作った風車やミミズクが有名になった。

参拝の記念に買って帰り、日頃世話になっている人たちに

「つまらない物ですが・・・・」

と届けたのである。




子供の頃、母から「A君のお母さんに、これを持って行きなさい」と言われ、

菓子折りを持って行ったことがあった。

友達の母親に

「つまらない物ですが・・・・」

と言って差し出すと、それを見ていた友達のA君が

「つまらない物なら持ってくるな」

と言ったのが思い出される。