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光市・母子殺害 死刑判決

22日に広島高裁で開かれた山口県光市・母子殺害事件(99年)の差し戻し控訴審で、

遺族の本村洋さん(32)が判決後、広島市中区のホテルで記者会見した。

死刑判決を評価しながらも笑顔はなく、

「どうすれば死刑のような残虐な判決を下さなくてもいい社会ができるのか」と語気を強めた。

一方、争点の大半が認められなかった弁護団は、「極めて不当な判決だ」と反発。即日、上告した。



事件が起きた9年前、本村さんはまだ23歳。

その当時から会見する姿、発言をニュースで見てきたが、常に冷静に対応している姿が印象的だった。

20代の青年が 「犯人を殴り殺してやりたい」 という感情を抑え、

「裁判が滞りなく進み、適正な判決が出ることを祈り、被告人が心から謝罪することを期待している。」

と発言していた姿に感銘を受けていた。

そして終始一貫して

「この事件の判決は死刑以外考えられない」

と遺族としての気持ちを強く持っていた。

それだけにこの裁判には、単なる母子殺人事件の判決というだけではなく注目していた。


22日の会見でも個人的な感情を抑え、

「被告人が人間として心から反省することを祈り、

 社会全体がこのような被害者、加害者を産まなくなることを期待している」

と発言していた。


「裁判官は、命の尊さを示してくれた。

 死刑判決には納得したが、死刑になったからといって遺族の心が癒されるものだとは思わない。」

まったくその通りだと思う。

妻を強姦され、妻子を殺された遺族の心が晴れる日が来るとは到底思えない。

近年の死刑判決は 【永山事件】 が判例となって

犯罪者の年齢や、殺害した人数で判断されることが多かった。

そんな判例を覆し、新たに刑罰とはどうあるものなのかを示してくれたと思う。

殺した人数が一人であっても、人の命を奪ったことには違いがなく、死刑となることがあっても良い。


被告人の人権擁護に走り、判決に不満を持ち、即日上告した弁護団には疑問が残った。

このような事件の被告人のどこに人権擁護しなければならないところがあるのか?

弁護人は、被告人に心からの反省・謝罪を促し、その上で減刑を望む発言をする者ではないのか?

事件の凶悪度に関わらず、単に弁護・擁護に徹するのが弁護人なのか?
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弁護士である前に人間であって欲しい


私は被害者寄りに立ち過ぎるのかもしれないが、
被害者は被害を被った者なのだ!
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加害者が悪さをしなければ、今でも平穏無事に生活していたはずなのだ。


加害者の人権尊重も時と場合によって必要なことだが、

被害者の心の傷は一生かかっても癒せないものだ。

そのことを踏まえた裁判であり、判決であってもらいたい。

そのためには冤罪は絶対にあってはならず、警察・検察には十分な事件検証を行ってもらいたい。



それにしても私が本村さんの立場であったら、ここまで冷静に対応できるものか?

改めて本村さんの人間性に感銘した。
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