3年前の3月11日に起きた大地震、大津波。
死者、行方不明者が2万人近くにもなった未曾有の大災害だった。
あれから3年が過ぎたが、岩手、宮城、福島の3県では、
今もなお約26万7千人が避難生活を強いられ、
約10万4千世帯が仮設住宅で暮らしている。
震災後の避難生活による体調悪化や自殺などによる「震災関連死」は3県で2973人。
家を失い、仕事を失って、先行きに灯りが見えないがために
体調を悪化させたり、生きる気力が失せてしまった人は少なくない。
ビートたけしが震災直後に週刊誌のインタビューで話したことが印象的。
この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、
被害者のことをまったく理解できないんだよ。
8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、
そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。
それは死者への冒涜だよ。
そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、
自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。
残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、
10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。
2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、
その悲しみに今も耐えてるんだから。
NEWS ポストセブンより抜粋
『親身になって』『自分の身に置き換えて』なんていうけど、
実際にはなかなか出来ないこと。
大震災があったというのは、まだ記憶に新しい。
だけど、直接的な被害のなかった私は、何もなかったかのように今暮らしている。
心のどこかに他人事という見方をしているところがあるのは事実だ。
今もなお、苦しい想いをしている人たち、明日の生活が見えない人たちが
まだまだ大勢いることを忘れてはならない。
改めて、少しでも『自分の身に置き換えて』大震災を見つめ直そうと思う。
震災直後には日本全国で募金活動、ボランティア活動があり、
『絆』『日本がひとつになって』と言っていた。
それが今も必要であり、まだ当分の間続けなければならないのが現実なのだ。