脳腫瘍で余命わずかと宣告され、『尊厳死』を選ぶと宣言していた
米西部オレゴン州の女性ブリタニー・メイナードさんが
今月1日、自宅で医師から処方された薬を服用し死亡した。
メイナードさんは、結婚して間もない頃に激しい頭痛に襲われるようになり、
今年1月に余命6か月の宣告を受け、侵攻性のがんで苦痛を伴う死になると告げられた。
その後、米国内で「死ぬ権利」が認められている数少ない州の一つ、
オレゴン州に夫と共に移り住み、先月に自らの命を絶つと宣言する動画を公開。
これが何百万人ものネットユーザーに視聴され、話題となっていた。
「自殺願望はありません。あれば、ずっと前にその薬を飲んでいます。
私は死にたくありません」
と、ブリタニーさんはCNNの記事に述べていた。
彼女は病状の回復、もしくは現状維持が見込めるのなら生きたかったのだ。
安楽死とは、肉体的・精神的苦痛から患者を解放するため、
薬物投与などで人為的に死を早めること。
薬物を使うなどして死期を早めるものを積極的安楽死、
積極的な治療の中止によるものを消極的安楽死と呼ぶこともある。
尊厳死は、病などにより「不治かつ末期」になったときに、
自分の意思で、死にゆく過程を引き延ばすだけに過ぎない延命措置を中止し、
人間としての尊厳を保ちながら死を迎えること。
本人の意思に基づくのが「尊厳死」ということになる。
メイナードさんと同様のケースがあった場合、医師による自殺幇助ということになる。
賛成派は、今回のメイナードさんのように不治の病に侵され、回復の見込みもなく、
不安と苦痛にさいなまされるだけの余命から解放させてあげることは
患者自身の意思や人間としての尊厳の尊重になるという。
一方、反対派は、難病患者など医療提供を受けなければ生きられない社会的弱者に
死の自己決定を迫ることにつながる恐れや、命の軽視を主張している。
自らの意思で生まれたいと願って生まれたわけではないのだから
自ら死を願うのは自由と考える人もいるが、
自分の命は両親の愛情に育まれた結果生まれたものなのだから
自然の摂理に逆らって自ら死を選択することはあってはならない。
どちらの考え方、意見ももっともなところだ。
メイナードさんのように不治の病に侵され、回復の見込みもないうえに
病が進行するにつれ家族の顔も分からなくなり、会話も出来なくなっていくのが確実で
痛みや心痛が増していくだけの状況は、人としての尊厳を失っていく。
生きたいと願っている人にとって、病によって死を選択することは、
本人にとっても家族にとっても苦渋の決断なのである。
相反することに延命措置がある。
現在では、心臓ペースメーカーなどの器具を使用した治療が盛んに行われており、
これを延命措置と呼ぶ人はいないと思う。
ペースメーカーを装着することによって人としての営みが出来るからである。
片や植物人間化してしまい、意志の疎通が図れなくなってしまっても
機器によって強制的に心臓を動かしているのは明らかな延命措置といえるだろう。
しかし、どのような患者へのどのような治療、器具の使用が延命措置なのかを
判断するのは非常に難しい問題である。
簡単に杓子定規で測れるものではない難しい問題だ。