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江戸しぐさ『死んだらごめん』

現代では、口約束というと何かあやふやなもので、

きちんと守られるかどうか心配が先に立つ。

ところが江戸時代の口約束は違った。

とくに商人同士の口約束は、絶対の約束だった。

何の証文もない口約束だが、いったん約束したら必ず履行するというのが

江戸商人の口約束だったのである。

そこには、江戸商人たちの高いプライドがあった。

口約束を破れば商人仲間からは相手にされなくなるし、

商人として江戸では認められなくなる。

口約束は、いわば人間同士の強い約束事なのである。

そして、口約束の最後には必ず「死んだらごめん」と付け加えた。

『必ず約束は果たします、出来ないのは死んだときだけです』

という強い意思表示である。

これが転じて、商人同士の「死んだらごめん」というしぐさは、

約束は必ず守るということと同義語となった。


江戸時代、人々は証文なしの口約束を固く守ったが、

吉原の郭の中ではなかなかそうはいかなかった。

遊女は金のある客の心を繋ぎ止めないと生きていけない。

遊女と客の関係は、かりそめの夫婦とみなされて、

客は馴染みになると別の遊女と遊ぶのはご法度とされた。

そんなルールはあったが、遊女の生活は病気になれば捨てられ、

また季節の行事には着物を新調しなければならないなど、

金のかかることが多く、後ろ盾がないと大変厳しいものだった。

そこで遊女は、客に約束を取りつけようとさまざまなことをした。

遊女と客がお互いに偽りのない心を神仏にかけて誓うという

証文まで取り交わしたのである。

それを「起請(きしょう)」といった。

起請による誓いが非常に重みを持っていたのは、

これあを一枚書くと紀州熊野の烏(カラス)が約束を保証するために

一羽死ぬといわれたからだ。

紀州熊野の烏といえば、太陽神を意味する三本足の八咫烏(やたがらす)で

人間がその約束を破れば命がなくなると信じられていた。


*余談ですが、八咫烏サッカー日本代表のユニフォームに付けられています


現代では口約束ほど、あってないようなものはありません。

そんな口約束で「死んだらごめん」が通用するのなら

こんなに楽なことはないでしょう。

「死んだらごめん」とならないようにするために

例えば住宅ローンを組むときには団体保険に入り、

死んだらその保険でロ-ンの残が清算されるようになっています。

現代では、借りた者が簡単に逃げられないように

何かしら証文替わりの補償を必ず取りつけます。

現代人よりも江戸時代の人たちのほうが正直者だったのかもしれません。