同じ長屋に住む者同士の付き合いは、家族同然だった。
簡単に声を掛けて戸を開け、中へ入ってくる。
米から生活用品全般まで貸し借りは当たり前で、
なんの遠慮もいらない付き合いだった。
しかし、商家などの主人同士の付き合いは、長屋のように簡単ではなかった。
まず第一に、いきなり訪問してはいけなかった。
なぜかというと、互いに商売をしているから、時間を大切にしていた。
いきなりの訪問は、その仕事の時間を奪ってしまうことになり、
相手の商売の邪魔をすることになってしまうからである。
そこで、この立場の者同士の訪問は、
事前に必ず手紙を出してアポイントを取ることが決まりとなっていた。
両者了解の上で訪問が成り立ったのである。
これを 『訪問しぐさ』 という。
商家の娘が嫁いだ家の近所に来たからといって、突然顔を出すこともしてはいけない。
商家の娘は、やはり商家へ嫁いでおり、商売の邪魔になるからである。
文字の読み書きが浸透すると、庶民同士による手紙のやり取りも増えるようになった。
現在のように電話やメールがなかったので、
直接会う以外には手紙でしか連絡の取りようがなかったため、需要は高かったのだ。
こうした手紙を宅配していたのが飛脚である。
遠方への飛脚は、主に商人などが利用していた。
江戸から大坂まで手紙が届くのに
普通便で6日掛かったため定六(じょうろく)といわれたが、
実際は6~9日掛かったという。
江戸市内専門の飛脚が登場するのは江戸後期である。
時代劇で見かける黒塗りされた箱状の張り籠を棒で担ぎ、
棒の先には風鈴や鈴が付いていた。
町を走ると風鈴や鈴がチリンチリンと鳴ることから
チリンチリンの町飛脚といわれたが、江戸では便り屋と呼ばれていた。
江戸葺屋町(あしやまち)の近江屋という町飛脚の料金では、
両国一つ目辺りまでで二十四文(約600円)、
芝金杉橋辺りまでで三十二文(約800円)、
品川新宿までで五十文(約1250円)、
という資料が残っている。
現在の郵便料金と比べるとかなり高く、
実際には、飛脚は使わずに使用人や小僧に手紙を持たせるほうが多かった。
手紙は気持ちや近況を伝える一方、直接訪れる前の礼儀でもあったのだ。