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江戸しぐさ 『聞き耳しぐさ』

江戸に住む多くの人は、長屋に住んでいた。

長屋の造りは貧弱で、薄い板と簡単な壁によって各家は仕切られていた。

だから、隣家の声は当たり前のように聞こえた。

そこで生まれたのが「聞き耳しぐさ」である。

このしぐさは、聞き耳を立ててこっそり話を聞くということではなく、

そういうことはいけないというしぐさである。


当時は、たとえ密閉された空間でも、

障子や襖など防音には役に立たない建具で家が造られていたから

聞こえてきた話は、聞こえていないものとして忘れた。

これが「聞き耳しぐさ」である。


立ち話でも、近くで耳をそばだてることは嫌がられた。

たとえ暖簾一枚でも、その向こうで話され、偶然耳にしたことは、

聞こえないものとして処理したのである。

江戸人のプライバシーに立ち入らない基本的な態度が聞き耳しぐさだったのだ。



プライバシーを尊重したものの、やっぱり人は噂話が好きだ。

そこで生まれたのが、かわら版である。

かわら版とは、現代でいう新聞のようなもの。

当時、一般的には「読売」と呼ばれ、

かわら版と呼ばれるようになったのは江戸時代末期といわれている。

読売を売る人々も「読売」と呼ばれた。

彼らは、流行りの調子に乗せながら

話の入り口をおもしろおかしく読み聞かせて売り歩いた。

江戸庶民の教育水準は高く、多くの人が字を読むことができたため、

面白い事件が起きた時には、相当数が売れた。

一枚刷りの印刷物が庶民のメディアとなっていたのである。

しかし、江戸時代には時事の話題を報道することは禁じられていた。

時代劇では、読売が往来の目立つところに立っているが、

実際は頭巾などをかぶって顔を隠し、大っぴらには売っていなかった。

内容はといえば、もちろん幕府の批判などできない。

家事や地震などの災害か、男女の心中や敵討ちといった市井のできごとの

話題が中心であった。


絵草子や錦絵といった美しい印刷物とは異なり、墨一色の木版印刷

一時的な情報として読み捨てにされていたらしく、質は低かった。

とはいえ、庶民が手軽に読むことができる出版物であったことは間違いない。

中には、レイアウトに工夫をし、災害などの様子を絵に描いて伝えるものもあった。

江戸の町では、たびたび大きな火事が起こったが、

どこの町が焼け、どこが焼け残ったのか詳細に知らせた。

真面目な事件を伝えるものもあるが、

中には、冗談やゴシップを書いた娯楽性の高いものもあった。

その多様性は、現代に通じるところがある。

幕末には、幕府の風刺も描かれるようになった。



他人の噂話が好きな人が多いのは、今も昔も変わらない。

たとえ暖簾一枚でも、その向こうで話され、

偶然耳にしたことは、聞こえないものとして処理し、

プライバシーには立ち入らないというエチケットも同じである。

が、現代ではツイッター等で流せば、あっという間に広まってしまう。

ツイッター等での情報の公開、共有にはエチケットとマナーが付いて回るのだが、

それをわきまえない無神経な者も少なくない。

IT化が進み、どんなに便利でスピーディな世の中になっても、

それをコントロールするのは人の役目である。