江戸の譲り合う精神が成立したのは、各地からたくさんの人が流入し、
それぞれ異なった作法がたくさん存在していた結果だろうと言われる。
まず相手を立てることから意思の疎通をはかる。
そこに譲り合う精神が生まれる。
それが二世代、三世代と続くうちに意志が疎通し、ひとつの形ができる。
「こぶし腰浮かせ」も、そんな譲り合いの精神から生まれたしぐさである。
江戸には各所に渡し舟があった。
少しでも多くの人が座れるよう、後から来た客のためにこぶしで腰を上げて席を詰めるしぐさだ。
これもお互い様の譲り合う精神が基本である。
これは茶店の縁台に座る際にも行われた。
口に出さずとも自然に詰めたのである。
このようなしぐさを忘れて、どっかりと大きな場所を占領して我が物顔をしている者は
江戸っ子と見なされなかった。
もちろん、船頭や茶店の主人に詰めるように促された。
言われて初めて気がつくのは、江戸っ子にとっては恥だった。
先日、新聞の投稿記事で
電車が駅に到着してドアが開くなり、人を押しのけるようにして乗り込み、
僅かなスペースしかなかったところに無理に座ろうとして
隣りの女性の太腿の上にお尻を乗せたおばちゃんがいた。
隣の人の太腿にお尻を乗せているにも関わらず、涼しい顔をして座っている図太さ、
呆れて席を立ってしまった女性がいなくなったことをこれ幸いにしっかりと座った無神経さに
向かいにいた初老の男性が
「いい年したおとながみっともない!」
と一喝!
おばちゃんは居心地が悪くなって次の駅で降りてしまった。
座りたければ「少し詰めてください」と一言言えば済むことを
黙って無理やり座ろうとする非常識さに呆れたという話が載っていた。
おばちゃんにももちろん非があるが、
中途半端な僅かなスペースしか空かないような座り方をしていた他の乗客にも問題があると私は思った。
公共の乗り物なのだから自分ひとりが悠然と座ることははばかられる。
一人でも多くの人が座れるように行う「こぶし腰浮かせ」の精神を知らないまでも