人にはいくつか驕り易いことがある。代表的なものは
若さへの驕り
健康への驕り
命のへ驕り
若さへの驕り |
若者は、自らの若さが永遠に続くかのように錯覚し、若さ(青春)を浪費する。
体力もあり、少々無理をしても大丈夫。たとえ疲れてもすぐに気力・体力は回復する。
若いうちはその有り余る力が永遠のものであるかのように錯覚し、老いることなど毛頭無い。
若者たちは、若いということだけで幸せなことなのだということに気が付いているだろうか?
若いということは、
汚れない心を持ち、これから限りなく伸びていけるという可能性を秘めているということなのだ。
そして子供たちは、自分たちは幸せなのだということに気が付いていなくても
生きていることに感謝しなければならない。
たとえ、親が忙しくてかまってもらえなくても
たとえ、家が貧しくても
子供は子供であり、これから成長していける。
それだけの時間を与えてもらっているというだけでも、すでに幸せなこと。
ある程度年齢を重ねると、今度は実年齢を認めなくなる。
気持ちの上では、5~10歳若いつもりでいる。
気持ちを若く持つことは大切なのだが、「自分はまだまだ若い」と錯覚するのとは違う。
若さは永遠ではないのだ |
健康への驕り |
人は健康な時、自らの体に感謝する事を忘れ、
健康であることが当たり前であるかのように体を粗末に浪費する。
呼吸をし、食事をとり、それを消化吸収するのに、一体どれだけのエネルギーが必要なのか?
呼吸器官、消化器官は休むことなく働いて、体を機能させくれています。
自分の意思で手を動かそうとして 動くこと
何も意識せずに歩いても 脚が動くこと
物が見えること 聴こえること 話せること などなど日常無意識に行っていることが
出来るのも 健康であればこそ です。
ちょっと怪我をしたり、お腹の具合が悪くなったりすると、途端に体の心配をしだす。
具合が悪くなって初めて「普段から気をつけておけば良かった」と反省する。
しかし、体調が元に戻った途端にそんなことは頭からキレイに削除されてしまう。
健康なときこそ健康に感謝だ |
命への驕り |
人は自らの命があることには、あまり感謝をしない。
そして、いつまでも今の人生が続いていくかのように錯覚をする。
いずれ命が途絶えることを忘れて、生命を浪費している。
この世に生を受け、命があるということは、それだけで既に幸運な事なのだ。
私達は家族との団欒の時を持ち、友と語らい、仕事を努めることができる。
苦悩もある、辛らつなこともある、でも楽しいこと、うれしいこともある。
すべて ”命があるからこそ“ である |
参考文献 tomieさんの「人間の驕り」