大相撲の野球賭博事件の捜査の過程で数人の力士の携帯電話に
八百長相撲が行なわれていたことをうかがわせる文言が見つかり大揺れしている。
過去に何度も八百長疑惑のあった相撲界だが、
その都度、決定的な物証が無く、疑惑力士への面談での
「やっていない」 という言葉を信じるしかなくウヤムヤで終わらせていた。
しかし今回は勝星の売買を巡る八百長のやりとりをしたメールが残っていて
3人の力士もそれを認めている。
自らの土俵内での失態ということで、野球賭博とは問題の次元がまったく違い、
1970年に敗退行為参加者(八百長実践者)と認められた数人の選手が野球界永久追放となり、
関連者も謹慎処分や、出場停止処分を受けたことがある。
複数の選手によるチーム戦の野球ですら八百長があったのだから
相撲のように1対1で行なわれる勝負や
競輪のような個人が競う競技では八百長はやり易い。
何も武器を使わず、裸の男同士の力対力のガチンコ勝負が魅力の相撲で八百長が行なわれていたことは、
相撲界に留まらず、多くの相撲ファン、スポーツファンを失望させた。
蹲踞(そんきょ)の姿勢は、相手を敬う所作であり、
両手を左右に広げて手の平を見せるのは、
武器を持っていないことを示し、正々堂々と素手で闘うことを誓う意思表示でもある。
今回の八百長騒動は、所作に込められた意味の数々も泥まみれにしてしまった。
反面、
「7勝7敗で千秋楽を迎えた力士のほとんどが勝ち越すのだから
八百長や慣れ合い相撲は以前からあったと見る。今さら驚くことではない。」
という声もある。
スポーツは鍛えぬいた体のアスリートが全力を尽くしてフェアプレイで競うから
見ている者を感動させ、多くのファンの支持を得られるのだ。
相撲協会の責任は当然重いし、協会の体質そのものも真剣に見直さなければならない。
早々と幕引きを図り、本場所の開催を強行した。
そんな本場所開催優先、臭いものには蓋をするという体質から完全脱却しなければならない。
今回の問題で公益法人から外れることにでもなれば
力士達への待遇も今までのようにはいかなくなり、興行にも差し障りが出てくるだろう。
真剣に相撲に取り組んできた多くの力士達のショックは計り知れない。