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江戸しぐさ 「会釈の眼差し」

現代でも山歩きをすると、人とすれ違うときに相手が知らない人であっても

「こんにちは」 と挨拶を交わすのがマナーであり、エチケットである。

が、町に戻れば、知らない人とすれ違うときには何も声を掛けない。

まして相手の顔を見ることもない。

マジマジと見れば、かえって相手に不信感を抱かれるだけだ。


だが、江戸の町ではそうではなかった。

見ず知らずの人とすれ違うときに互いに目と目を合わせ、

さりげなく目で挨拶を交わしたのだ。

このしぐさを 「会釈の眼差し」 という。

その根底には、人間はすべて仏の化身という考え方があった。

仏様に挨拶するように見ず知らず同士でも目で挨拶するのは何の不思議もなかった。


目で挨拶するというのは、顔を柔和にさせる効果がある。

相手を睨むわけではないので、自然と和やかな顔になるのだ。

そうすれば殺伐とした空気は生まれない。

一人では生きていけないという基本が江戸の人々にはあったのだ。

相手が身分の高い武家の人に対しても同じで、

すれ違うときには目を見て会釈の眼差しをした。

これは卑屈にならない江戸人のプライドでもあり、礼儀でもあったのである。


挨拶の方法には、さらに厳しく決められていた。

屋敷の中にいる場合には、座して礼を行い、外では立礼が行われていた。

外出時に駕籠が通った場合、

目上の駕籠であれば右へよけて、目下であれば左へよけていた。

駕籠の前を横切ることは 「前渡り」 といわれ、忌むこととされていた。

会釈をする際には、

手を前に出し、利き手である右手を左手で軽く抑えるようにして挨拶する。

これは普段から刀を差している武士が、相手に敵意が無いことを表している。

また、柔道の立礼を見ると、頭は下げても相手の様子が分かる姿勢を保っている。

これは戦う者が挨拶する場合に、

敬意を払うと同時に、相手から目を逸らしては油断が生じるためである。


「目は口ほどに物を言う」 というが、眼差しには心がこもるのである。
       


知り合いの人とすれ違うときには、相手の目を見て会釈をするけど、

知らない人とは出来ませんね。

何か勘違いされてしまうのがオチですから。

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