いわゆる「ら」抜き言葉のうち「見れた」「出れる」を使う人の割合が、
正しい使い方である「見られた」「出られる」を初めて上回ったことが
見られる → 見れる
出られる → 出れる
来られる → 来れる
食べられる→ 食べれる
出られる → 出れる
来られる → 来れる
食べられる→ 食べれる
言葉は時代の変化とともに変わっていく。
若い人たちが言葉の使い方を変えていくのも文化かもしれない。
しかし「ら」抜き言葉は、どうも馴染めないし、聞いていて気持ち悪い。
さらに携帯電話によるメールによる会話(?)が増えたことで
手早く返信するために「オーケー」を「おけ」などと言葉を短縮することも
若い人たちの間では普通のこととなっている。
こういったことに違和感を感じるのは、それだけ年を取ったということか?
私たちが使っている言葉も私たちの親の世代から見たら
やはり「?」が付いていたかもしれない。
それでも「ら」抜き言葉は、日本語を乱暴に扱っているようで嫌だなあ。
やたらと「カワイイ」「ヤバイ」で済ませてしまうのも気になる。
若い人たちは、言葉は単なる伝達ツールのひとつと考えているかもしれないが、
言葉は文化だと思うし、
自分が生まれ育った国の言葉をもっと大切にして欲しいと思う。