ぴ~まん’s ワールド

仕事も遊びも楽しくやろう 楽しくなければ人生じゃない

その後の母

15日の夕方から行方不明になり、17日早朝に帰ってきた母だが意外に元気。

17日は午前中は休ませて午後に掛かり付けの病院へ行ったが、そこでも点滴も受けず

「大丈夫ですよ」とのこと。


行方不明になってからの行動を聞くと、つじつまの合わないことがあり、少しボケが出てきたようだ。

15日のことはまったく覚えていないのだが16日早朝のJR○○駅の切符を持っていた。

おそらく15日の夕方にバスに乗ったがすぐに下車して○○駅へ向かって歩いていたのだと思う。

その駅は叔母が以前住んでいた最寄り駅でボケた頭にその駅へ行けば帰れると思ったのだろう。

そしてその時点で以前自分が住んでいた○×に帰らなくてはという意識が強かったというより

ここ数年の記憶が飛んでしまっていたのだろう。

現在叔母が住んでいる所から○○駅までは10kmくらいはあると思う。

一晩中歩いてようやくその駅に辿り着いたのだろう。

「ずっと電車に乗っていた」と言っていたから○○駅から電車に乗り、

○×へ向かおうとしたのだろうが、疲れて眠り込んでいたのだと思う。

切符を持っていたからどうやって駅から出たのか分からないが、○×駅へ帰るのに乗り換える駅で降り、

その町をフラフラしていたのだろう。

やがて夜になり、「帰らなくては」の意識が強く働きタクシーに乗ったのだと思う。

タクシーの運転手に「○×、○丁目」と以前住んでいた住所を伝え○×に向かった。

○×に着くと「こんな所は知らない。私の家はこんな所ではない」と言い出し、

運転手が困って交番に駆け込んだのだ。

交番で名前を聞かれ、捜索願いが出ている婆さんと分かり連絡が来たのだ。

フラフラと歩き続けていた間に買い食いをしていたらしく

帰ってきた時も「お腹は空いていない」と言い、病院でも「大丈夫」となったのだと思う。


2年前に大腿骨骨折で入院した時に、少しボケたかなと思ったが

入院させられたことで精神状態が普通ではなかったし、その後なんともなかったので気にしていなかった。

が、今回のことは明らかにボケの症状だ。

今日あたり弟が病院の神経内科へ連れて行っっているはず。

そして介護認定も改めて申請しなければならない。


弟には仕事に出かける時には「ガスの元栓を閉めていけ」と言ってある。

昼食はご飯を炊いておけば冷蔵庫の中のもので食べるだろう。


幸い2~3分のところに叔父夫婦が住んでいて、母もこの叔父を頼っているのでなんとかなると思うが、

徘徊はまたするだろう。

住所と名前、連絡先を書いたものをバッグに付け、財布の中にも同じものを入れておくようにした。


いずれこういう時は来るだろうと思っていたが・・・。