ぴ~まん’s ワールド

仕事も遊びも楽しくやろう 楽しくなければ人生じゃない

教員が教え子より息子の入学式を優先

埼玉県西部の県立高校で50代の女性教諭が
長男が通う別の高校の入学式に出席するため、
担任を務める1年生の入学式を欠席していたことが分かった。
新入生の保護者らは
「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なのか」と困惑している。
県教育局によると、県内の県立高校では、ほかに男女3人の担任教諭が
子息の入学式出席を理由に休暇届を提出し、勤務先の入学式を欠席した。

関根郁夫県教育長は11日に開いた県立高校の校長会でこの事実を報告した上で
「生徒が安心して高校生活をスタートできる体制づくりと心配りに努めてほしい」
と異例の“注意”を促した。

来賓として入学式に出席した江野幸一県議は
「担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。
 欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。
 校長の管理責任も問われる」と憤慨。
県教育局は「教員としての優先順位を考え行動するよう指導する」としている。

                         埼玉新聞より



賛否両論あるとは思うが、教師といえども子供の親だ。

突発的に休んだわけではないし、当然事前に校長の許可も得ているはずである。

自分の子供の入学式で休むのは数年に一回のこと。

教師の子供にしてみれば、親に出席して欲しいと願うのは当然だし、

親としても子供の入学式に出席したいと思うのは、他の親と同じである。


県議員が「欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか」と憤慨したようだが、

新入生は「担任の先生の子供も今日入学式なんだ」で終わるだろう。

授業をすっぽかしたわけでもないのだから、そんなに大騒ぎすることではない。

逆に先生が自分の子供の入学式に出席するために勤務先の入学式を欠席することで

生徒達は「人間としての寛容さ、柔軟性」を習得できると思う。


「欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか」などということを言えば、

事あるごとに子供たちは

「私たちの気持ちを考えないのか!」という自己中心的な考えを主張し、

その親たちも「先生には何を言ってもいいのだ」とモンスター化を促進してしまう。


「教員としての優先順位を考え行動するよう指導する」は、

自分の子供の教育よりも生徒の教育を優先させろということ。

自分の子供の教育も出来ない先生が、どうやって生徒を正しく導けるのか。

昔はそうであっても、今の時代そんなことを押し付けていては

優秀な人材は教員にならない。


私の父も教育者でした。
入学式、卒業式には一度も出席してもらえませんでした。
でも当時、学校の先生は絶対的な存在であり、
家庭よりも学校が優先というのが当たり前の時代でしたから
子供心にも「仕方が無いこと」と納得していました。
昔は「教師の子供は出来が悪い」とよくいっていましたが、
そんなことも背景のひとつにあったのでしょう。
私は例外かも?


2,3人の先生が入学式を欠席しても学校教育に支障は無い。

その2,3人のカバーをするのが組織である。

学校は学問だけを教える所ではなく、人間教育もする所である。

そのベースは家庭教育にあるが、

教育長や県議が言うことをまかり通していたら

どうやって道徳や倫理観を子供たちに教えるのか。

          https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/p-man99/20010101/20010101001410.jpg